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2004.08.11

コパン遺跡に対してどう考えたか?

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コパン遺跡はマヤ文明の遺跡だ。僕はマヤ文明の歴史をほとんど知らない。それどころか、今までインカ、マヤ、アステカの境界線すら知らなかった。
それくらい乏しい知識の中でも僕にとってマヤ文明で最も興味があったのが「マヤのカレンダー」。このカレンダー、7世紀に作られているんだけど、1年を365.2420日としている。現在僕達が使っているグレゴリオ暦で1年は365.2425日。半端じゃない精度、全く同じと言っていいんじゃないかな。
日本の7世紀と言えば、小野妹子が遣隋使として中国に渡った時代に始まり、大化の改新を経て、平城京が造られる直前まで。つまり、法隆寺はすでに建立されているし、中国に行けるだけの船を造る技術もあった。奈良の大仏こそまだないけれど、国宝級の仏像も幾体か作られた、そんな時代。
そう考えると、広い世界のどこかで精密なカレンダーがあったとしても不思議ではないだろうな。僕もこのカレンダーが中国、ヨーロッパなどで作られていたとしたら、ここまでこだわっていない。なぜなら、それらの地域には四季がある。四季があるということは、収穫ができない時期があるということ。であれば、種を蒔く時期もはっきりわからなければいけないし、次の収穫までどれだけの食糧を蓄えなければいけないかという計算もしなければいけない。そうすると、カレンダーはどうしても必要な物になるから。
ところが、マヤが栄えた地域はグアテマラを中心にメキシコ南部からホンジュラスまで。確かに雨季・乾季はあり、ハリケーンも来る。でも北回帰線以北の冬とは違い、何ヶ月も食糧が手に入らない状況はない。そう、365.2420日をどうやって計ったかなんて僕には興味がない。そんな地域で誰がどんな目的でカレンダーを必要としたか。どんな需要があってカレンダーを作ったのか。この一点がどうしても僕の頭から離れなかった。そして、そのカレンダーを作ったのがマヤ最大の神殿都市ティカルではなく、コパンなんだな。
恐らくどの出土品や建造物を見ても、石碑・祭壇を見ても、何も答えは見つからないだろう。さすがにこのレベルの会話ともなると、いかにガイドがバイリンガルでも、質問の意味を理解してもらえるほど、僕の英語は達者ではない。あるいは、理解してもらえたとしても的確な答えが出る質の疑問ではないだろう。ガイドなりの想像が返ってくるだけ。僕のお気楽頭が何百年考えてもわかるはずないし。でも、遺跡ってこうやって何かにこだわって見に行くとすごく面白いんだな。どんなに偉い先生が書いた解説書も所詮想像。その時代で見て来た訳じゃない。考古の世界における「定義」とは最も矛盾の少ない「想像」に過ぎないと思う。逆に、想像を欠かしての遺跡観光なんてありえない。
エンパイア・ステート・ビルに登って「思ったより低かった。」とか、ノイシュバンスタイン城を見て「思ったよりきれいじゃなかった。」って言う人は少ないよね。でも遺跡は現在よりはるかに劣った技術で造られたもの。期待して行くと多くの場合、ガッカリするよ。遺跡観光に必要なのは「期待」ではなく「想像力」だから。(写真は石碑Aのレプリカ)
もりもと れお(えらく真面目な記事だなぁ。でもこれが真の姿だよ~ん。)

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