« julio 2004 | Inicio | septiembre 2004 »

2004.08.23

ビッグ・アップル

bigapple.jpg
ホンジュラスを離れ、ビッグ・アップルの雑踏へ行ってきます。ビッグ・アップルは確か6度目。今回の行程は4泊5日。
一番の目的は世界貿易センタービル(WTC)跡地。もう3年前のことになりますが、何があったかは皆さんよくご存知のことでしょう。毎日5万人が働き、20万人が出入りしていたあの場所へ行くこと。WTCのないビッグ・アップルは初めてです。
私が地球の裏側にいる間に、日本は誤った方向に足を踏み出しました。「日本軍」の「海外派兵」です。よく「自衛隊」は「専守防衛」の組織であり、「軍隊」にあらず、なんて言葉を聞きます。そしてその「専守防衛」の性格は、世界でも数少ない素晴らしいものである、と考えて(教えられて)いる方も多いかと思います。
しかし冷静に考えて見て下さい。例えて見るならアメリカの銃社会。銃を持っている人はその理由として「我が身を守るため」と答えますよね。20世紀前半までならいざ知らず、現代においてほとんどの国の指導者、大統領、首相に「あなたの国にはどうして軍隊があるのか?」と質問すれば、まず間違いなく「自国と自国民を守るため。」と答えるはずです。「敵対国を攻撃するため。」とは今の共和党のアメリカ大統領ですら答えないでしょう。つまり、そういった意味では全ての国の「軍隊」は「自衛隊」なのです。
しかし戦後の「日本軍」は少なくとも武器弾薬を持参して海外に行くことはなかった。海外に補給路も作らなかったし、演習も日本の領域内に限っていた。これは日本ほどの巨額な予算をかけられている軍としては特異なことでしょう。その特異性が今、(こちらでインターネットからの情報を得る限りにおいては)大きな議論も経ずに削り取られ、他国の軍隊と同じ性格になろうとしつつあるようです。
そのスタート地点のひとつがWTC跡地のはず。飛行機を乗っ取ってビルにぶつけ、何の関係もない人を殺傷する。これは決して肯定されるべき行為ではありません。そして偶然その場所に居合わせて、傷ついたり亡くなったりした方々に対しては、同情の念という言葉では足りないくらいの感情は持ち合わせています。
しかしながら、実際その場所に立ってみて、まだ微かに記憶に残っているあの映像を思い出してみると一体何を感じるでしょうか?あのランドマークだったビルがすっかり姿を消してしまった後、今度はちょっと不思議な理論を持ち出して、アメリカがアフガニスタンやイラクの市民の頭上の爆弾を降らせた。それに対して、日本は断固支持した。「アフガンを攻撃しないでテロを撲滅できると思うのか?」とか「フセインが見つからないからといってフセインはいなかったと言えるのか?」とかいう詭弁まで使って。そんな不思議な指導者が7月、国民に‘NO!’と言われたにもかかわらず、まだ政権に居座っている。他の政策はともかく、彼は日本軍の海外派兵を止めないでしょう。仕方ない流れなんでしょうか?
何故WTCに花やロウソクを置きに来る人がいるのか?その人達は何を思い、その場所に来るのか?決して肉親の敵討ちとか祖国の世界制圧ではないと思うんですが・・・。
HIDE(ルーク・スカイウォーカーがデス・スターを壊したのはテロかい?)

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

2004.08.18

コパン遺跡で何を見たか?

「考古学」と「歴史学」の境界線をご存知でしょうか?まぁ、色々ありますが、最も分かりやすいのは、「現在使われている文字で文献が残っているかどうか」。コパン王朝は西暦800年前後まで続いています。西暦800年前後といえば日本では都が平城京から平安京に移されたころですよね。しかしながら記録がマヤ独特の象形文字しかない。ですからたかだか1,200年前とはいえ、考古学の範疇になります。逆に日本でもし邪馬台国を確実に立証するような3-4世紀の遺跡が出たとしても、「魏志倭人伝」に記録がありますから、どちらかと言えば歴史学の範疇になるはずです。(でも大家は歴史学の先生)
文献の資料がない訳ですから、考古の世界を観光する上で最も必要なのは想像力。コパンに限らず、この想像力を欠かして受身で遺跡観光をすると、「もっとすごいと思ったのにそうでもなかった。」とか「歩くばかりで退屈だった。」なんて悲しい感想のみを持って帰ることになります。そうならないためにも、遺跡を訪れる前にコパン・ルイナスにある「マヤ考古学博物館」にはぜひ予習に行って欲しいですね。有名な祭壇Qもここで解説を見ていくとよくわかります。HIDEさんもお目当ての「マヤのカレンダー」を見に行きました。
さて、コパン・ルイナスの町からコパン遺跡まではバスで10分弱。駐車場からは緑豊かな小径を歩いて遺跡入口へ。「コパン遺跡へなぜ行ったか?」の写真はその小径です。
入口で切符をもらい、またしばらく歩くとグラン・プラザという広場。遺跡観光はここから始まります。グラン・プラザにはピラミッドがあり、石碑A(レプリカ)や石碑Bを始め、何体もの石碑があり、球戯場があり、神聖文字の階段があります。ただ、このひとつひとつの解説は「カリブのぬるい風」よりはるかに良い参考資料が日本にもたくさんあるでしょう。それらに張り合っても勝つ自信はありませんから、サラリと流させて下さい。
グラン・プラザの次は西広場。ここにはさっき書いた祭壇Q(レプリカ)があります。高台から墓地を見下ろした後は、東広場。ここでは主にトンネルを見ます。特に神殿16の下からはロサリラという地下神殿が発見されています。でもこのロサリラのトンネルが以外に小さい。もう一つハガーレスのトンネルの方は結構長いんですけどね。
でも、面白かった。この面白さを伝えるだけの筆力がないのが悔しい。日本人は私ともう一人いたんですが、とにかくこの二人が団体から遅れる。あれだけホンジュラス人添乗員さんに「早く、早く!」ってせかされる日本人も、そうはいないぞ。
遺跡観光が終れば駐車場の反対側にある彫刻博物館の見学です。クネクネしたトンネルを模した通路をしばらく歩いて展示室へ。入った瞬間二人の日本人、足がピタリと止まり、思わず息を飲みました。中央に展示されているロサリラ神殿の復元模型(写真)の大きいこと。日本の3階建ての家屋に匹敵する大きさと言っていいでしょう。カメラに収まらん。こんなでかいものがあのトンネルの奥にあるなんて・・・。しばらくそれに打ちのめされていました。が、気を取り直して、石碑Aや祭壇Qなどの本物を見ていると、添乗員さんが「早くバスに帰って下さい。」って迎えに来ました。立場が逆だけど昔を思い出すなぁ。
HIDE(心頭滅却、これまで。日本に置き去りにした家族と、ほんのちょっとだけ吉岡美穂ちゃんのことを考えて寝よう。)
copan4.JPG

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

2004.08.16

コパン遺跡に行く前にどこにいたか?

copan3.JPG
コパン遺跡観光のベースは遺跡から1km南西にあるコパン・ルイナスという小さな町です。人口は6,000人といいますから、ウティラ島とほぼ同じ。ただ、ウティラが島特有の海沿いの細長~い町なのに対して、コパン・ルイナスは縦横500mの碁盤の町です。
中米の町がほとんどそうであるように、この町も中心は例によって中央公園、その横が教会というつくりです。まず、散策の拠点はここから。そうそう、写真はあえて朝焼けの逆光で撮った教会です。決して「ホテル・カリフォルニア」ではありません。
500m四方の町はいかにもホンジュラスを代表する観光地だけあって、ホテルとレストランとお土産屋ばかりがあります。プラス露店のお土産屋もたくさんいて、オプショナル・ツアーを売り込もうとする連中が親しげに近寄ってきて、とホンジュラスに来て初めて「ああ、観光地に来たんだなぁ。」なんて気持ちになっちゃいました。そこへ、貸切バスが停車して、中からカメラを持った日本人グループがドヤドヤ降りてくるなんて光景もホンジュラスで初めて見ちゃいました。こりゃ、HIDEさんが心頭滅却する必要はないかな?
今回利用したのは‘HOTEL CAMINO MAYA’。団体旅行で来たもので料金は分かりませんが、部屋はエアコン、テレビ(NHKが入る!ラ・セイバでも入らんのに、この田舎で!)、お湯付きです。このホテルの一番いいところは、中央公園の角に面していて、2階にあるテラスからその中央公園を見下ろせること。HIDEさん、いつものようにあふれんばかりの好奇心で町をウロウロした後は、ビールを買い込んでテラスに座り、1時間ぐらい中央公園での人の動きを眺めていました。好きなんですよ、人を見るのが。
コパン・ルイナスでのおすすめレストランは‘N'ia Lola’。ホンジュラス名物のピンチョ(肉と野菜の串焼き)が100Lpsで日本人なら充分二人分の量あります。もちろん美味しい。加えてここのウェイトレス達は料理や飲み物を頭に乗せて運ぶ!一見の価値ありです。
朝は早起きして6時から市場見物をしました。そこで会ったのがチーズ屋のおばちゃん。このおばちゃんは結構ゆっくりの7時前に出勤(?)。まず、チーズを置くための机を自分の縄張りに置く。そうするとあっと言う間に列ができました。それから無表情にエプロンを付け、チーズやバターを並べます。そしてお客が「そのチーズを2ポンドくれ。」って言うと相変わらず無表情で、よっこらしょうってチーズを切ります。そして天井からぶら下げたハカリに乗せると、見事2ポンド!「バターを1ポンドくれ。」って言われカップですくって袋に入れてハカリに乗せると、見事1ポンド!1/10ポンドの誤差もありません。
ちょうど、おばちゃんの縄張りの前が軽食屋。そこで朝食として1Lpsのコーヒーと2Lpsのパンを買って食べながら、その無表情なおばちゃんとハカリの針をしばらく見ていました。「ふん。何驚いてんの?あたしゃね、もう40年もここでチーズを売ってるんだよ。それであたしゃ、息子を大学まで行かせたんだから。もしハカリが違うところを指したら、そりゃハカリが壊れてるんだ。あたしの手は間違わないよ。(勝手な想像)」なんてセリフが似合いそうな光景で、朝から感動しました。
HIDE

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

2004.08.11

コパン遺跡に対してどう考えたか?

copan2.JPG
コパン遺跡はマヤ文明の遺跡だ。僕はマヤ文明の歴史をほとんど知らない。それどころか、今までインカ、マヤ、アステカの境界線すら知らなかった。
それくらい乏しい知識の中でも僕にとってマヤ文明で最も興味があったのが「マヤのカレンダー」。このカレンダー、7世紀に作られているんだけど、1年を365.2420日としている。現在僕達が使っているグレゴリオ暦で1年は365.2425日。半端じゃない精度、全く同じと言っていいんじゃないかな。
日本の7世紀と言えば、小野妹子が遣隋使として中国に渡った時代に始まり、大化の改新を経て、平城京が造られる直前まで。つまり、法隆寺はすでに建立されているし、中国に行けるだけの船を造る技術もあった。奈良の大仏こそまだないけれど、国宝級の仏像も幾体か作られた、そんな時代。
そう考えると、広い世界のどこかで精密なカレンダーがあったとしても不思議ではないだろうな。僕もこのカレンダーが中国、ヨーロッパなどで作られていたとしたら、ここまでこだわっていない。なぜなら、それらの地域には四季がある。四季があるということは、収穫ができない時期があるということ。であれば、種を蒔く時期もはっきりわからなければいけないし、次の収穫までどれだけの食糧を蓄えなければいけないかという計算もしなければいけない。そうすると、カレンダーはどうしても必要な物になるから。
ところが、マヤが栄えた地域はグアテマラを中心にメキシコ南部からホンジュラスまで。確かに雨季・乾季はあり、ハリケーンも来る。でも北回帰線以北の冬とは違い、何ヶ月も食糧が手に入らない状況はない。そう、365.2420日をどうやって計ったかなんて僕には興味がない。そんな地域で誰がどんな目的でカレンダーを必要としたか。どんな需要があってカレンダーを作ったのか。この一点がどうしても僕の頭から離れなかった。そして、そのカレンダーを作ったのがマヤ最大の神殿都市ティカルではなく、コパンなんだな。
恐らくどの出土品や建造物を見ても、石碑・祭壇を見ても、何も答えは見つからないだろう。さすがにこのレベルの会話ともなると、いかにガイドがバイリンガルでも、質問の意味を理解してもらえるほど、僕の英語は達者ではない。あるいは、理解してもらえたとしても的確な答えが出る質の疑問ではないだろう。ガイドなりの想像が返ってくるだけ。僕のお気楽頭が何百年考えてもわかるはずないし。でも、遺跡ってこうやって何かにこだわって見に行くとすごく面白いんだな。どんなに偉い先生が書いた解説書も所詮想像。その時代で見て来た訳じゃない。考古の世界における「定義」とは最も矛盾の少ない「想像」に過ぎないと思う。逆に、想像を欠かしての遺跡観光なんてありえない。
エンパイア・ステート・ビルに登って「思ったより低かった。」とか、ノイシュバンスタイン城を見て「思ったよりきれいじゃなかった。」って言う人は少ないよね。でも遺跡は現在よりはるかに劣った技術で造られたもの。期待して行くと多くの場合、ガッカリするよ。遺跡観光に必要なのは「期待」ではなく「想像力」だから。(写真は石碑Aのレプリカ)
もりもと れお(えらく真面目な記事だなぁ。でもこれが真の姿だよ~ん。)

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

2004.08.10

コパン遺跡へなぜ行ったか?

copan1.JPG
海、海、鼠、海、海、海、海、海ときましたから、今回から気分転換に盆地です。目的地はホンジュラスを代表する観光地、世界遺産のコパン遺跡。
かつて私は遺跡が大好きでした。仕事でとは言え40ヶ国訪れているって人に言うと、よく「どこの国が一番好きですか?」って聞かれます。これはものすごく難しい質問です。いわば「どういった女性が好きですか?」と同じ。色んなシチュエーションがあるじゃないですか。例えば「奥さんにしたい女性」「土曜の午後、街を連れて歩きたい女性」「居酒屋でお酒を飲みたい女性」「グチを聞いて欲しい女性」「リゾートホテルのテラスで時を過ごしたい女性」「おしゃれをして上流階級のパーティに同行させたい女性」などなど、なんでもかんでも吉岡美穂ちゃんがいいって言う訳じゃありません。ただ、総合的に言えば吉岡美穂ちゃんが一番丸をつける項目の多い女性な訳であって、やっぱ彼女はいいよなぁ・・・。四六時中一緒にいたいなぁ・・・。天の声「四六時中一緒にいたいと思って結婚した奥さんを、10年もしないうちに日本に置き去りにしている当事者が、何を言うとる。」
はっ、私は何を・・・。そうそう、かつて私は遺跡が大好きでした。「山は誰が見ても山。湖は誰が見ても湖。海は誰が見ても海。でも遺跡は違う。平たく丸い銅の板を見てある人は皿だと言い、ある人は鏡だと言う。一本の直立した石の柱を見てある人は神殿の跡だと言い、ある人は日時計だと言う。解釈が確立していない遺跡こそ、想像力が働いて面白い。未来同様、過去も我々が作るんだ。」なんて嘯いていたものです。そういった観点から「どこの国が一番好きですか?」って聞かれたら、訪れた中では断然トルコです。
その男が今や遺跡より海が好き。「遺跡は所詮人間が作った物。海の中に人間の手はない。サンゴも岩も自然が作った物。海の中を泳ぐ生き物も自然が作った物。その美しさは人間の手でとても作れる代物ではない。人智が及ばない悠久の歴史があればこそ。」なんて言い切っているんですから、人間、変わるものです。その観点ならモルジブですね。
加えて一番近いダイビング・スポット、ウティラ島まで船で1時間。コパン遺跡まではバスで5時間。おのずと予定のない週末は島へ島へ、海へ海へ、海中へ海中へって頭になり、ああこりゃ、コパン遺跡に行く機会は作れないなぁと、少しあきらめていました。
ところが、たまたま大学で歴史学(考古学にあらず)の先生でもあるところのアパートの大家が、生徒を連れてバスを仕立てて一泊二日でコパン遺跡へ行くから、一緒にどうだと誘ってきました。行き先は島じゃないけど渡りに船、これこそ千載一遇のチャンスと便乗を決めた次第です。マヤの神々や歴代の王とHIDEとの間に、縁がなかった訳じゃないぞ。
本来の目的をはずれ、なかなか観光案内にならない「カリブのぬるい風」。(@niftyのココログ担当の方へ:このblogは日記ではありません。実はホンジュラスとラ・セイバの観光案内なのです。知りませんでした?)今回は世界遺産だ。雑念をはらい、多くの日本人観光客にコパン遺跡へ行って見たいと思っていただけるような、記事を書くぞ~っ!心頭滅却!
・・・何か自信ないなぁ。美穂ちゃん、あなたも今は雑念です。今だけね。
SUPER GREAT HIDE Z(恥ずかしいから、やっぱHIDEだけにしよう)

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

2004.08.05

若葉ダイバーが言うのも何ですが

diving.JPG
ダイビングはとっても面白いです。そして、それこそ誰でもできます。
現段階で私が感じているのは、ダイビングには70%の冷静な気持ち、20%の技量、10%の勇気、これだけが必要だということです。
勇気。たったの10%?って思われるかも知れません。たった10%です。ボートから海に落ちる瞬間だけです。一旦落ちてしまえば、他に勇気を奮い起こすシーンはありません。浮くか、沈むか、進むかしかない訳で、別に人食いザメと格闘する訳じゃありませんから。そして回数を重ねれば確実に、この10%は限りなく0%に近づきます。
技量。これは一歩間違えると命にかかわる遊びですから、20%ぐらいは必要でしょう。ただ、他のスポーツのように、特別な才能や能力が必要な技量はほとんどありません。後で書きますが、冷静な気持ちがあればできることばかりです。ただ一部、得手不得手ってものはあるでしょう。例えばHIDEさんにとっての不得手が「海中に沈むとともに、水圧で耳が圧迫され痛みを伴った時、鼻腔を使ってその圧迫を治す」こと。飛行機に乗った時、耳がキーンとするのを飴玉で治すようなものです。ただ、これが上手くできないと30フィート潜った時、頭痛に近いほどの耐えられない痛みになり、楽しむどころじゃありません。フィンを使った泳ぎ同様、これは練習と慣れしか解決方法はないでしょう。
冷静な気持ち。速い遅いは置いておいて、泳ぎの上手くない人はどこに原因があるか。多くの場合、息継ぎに問題があるんじゃないでしょうか?溺れている人の姿を想像してみて下さい。その人は手足をバタつかせながら、必死に息継ぎをしようとしているはずです。ただ、それが上手くいかないから大量の水を飲んで溺れてしまう。
ところがダイビングに息継ぎは必要ありません。普通に呼吸します。逆に息を止めたり、中途半端な呼吸をすることは危険な行為となります。
HIDEさんが苦手だった「水中で完全に外れたマスクを再びつけ、中の水を外に出す」行為。これは口から息を吸い、マスクの下だけを開けて鼻から息を出す。これだけ。水で前が見えないなんて関係ない。呼吸はできる訳ですから何ら焦る必要はありません。水が出て行くまで何回でも続ければいい。ところが一たび冷静さを失うと、早くマスクの水を出さなきゃって気持ちになり、慌てて吸って吐いてを繰り返す。その結果訳が分からなくなり、口から吐いて鼻から吸う。悲惨なことになります。
口からレギュレーターが外れた時も同様。レギュレーターは必ず自分の右側にぶら下がっています。また右側にはレギュレーターしかぶら下がっていません。つまり右手で大きく輪を書けば、おのずと数秒の内に引っかかります。ほんの数秒です。
ね、いかに冷静でいられるかが勝負でしょう?
水中カメラやビデオなどもありますが、一般的には値段が高く操作が難しい。つまり、海の中は潜った人のみが見ることのできる特別な観光地です。訪れてみたいと思いませんか?
HIDE(ジムとダイビングでパワーアップしました。次回からHIDE改めSUPER GREAT HIDE Zになります!)

| | Comentarios (1) | TrackBack (0)

2004.08.02

カヨス・コチノスにて

cayoscochinos2.JPG
初日:全く身勝手な相棒です。息子に「HIDEにスノーケリングを教えてもらいなさい。」なんて言っておいて、自分は浜辺で友達とおしゃべり。11歳の小僧を放ったらかしにする訳にもいかないので仕方ない。スノーケリングです。でも正直言ってスノーケリングはあまり好きじゃない。それに人様の子供、そんなに深い所へ連れて行く自信もないので、ほとんど足の届く所をうろうろするばかり。まぁ、そんな範囲でもカラフルな熱帯魚はいくらでも泳いでいますし、ソフトボールぐらいのウニがごろごろしています。彼はそれらに全部反応して、見つけるたびに指さして喜びを表現します。
しかしながら次第に退屈するHIDEさん。海を出たくなります。でも一緒にいるのは11歳。体力は無尽蔵にありますし、スノーケリングが楽しくて仕方ない小僧。結局通しで2時間以上泳いでいたようです。HIDEさん(当時43歳)も結構元気だねぇ。
2日目:午前中は単独行動。「大コチノ」で待望のダイビング。ウティラのインストラクターも女性でしたが、今回のバディもたまたま女性。水中で考えたこと。不思議ですよね。ついさっきまで全く見ず知らずだったバディに全幅の信頼を置いて、もっと言えば命すら預けて(バディを信頼できなければ、ダイビングなんて恐くてできません。)同じ方角に向かって並んで進む。ふと視界からバディが消えると、すぐ相手を探し、位置を確認する。時々目を合わせ「OK?」って聞きあい「OK!」って答えあう。何か見つけると必ず相手にも教えてあげて「見た?」「見た。」って合図する。う~ん。夫婦生活もかくありたいもんですなぁ。天の声「奥さんを日本に置き去りにして遊んでいるクセに、何を言うとる。」
えっ、海の感想?今回は59フィートに39分と50フィートに39分の2ダイブ。カヨス・コチノスは岩礁の島だけあって、さすがにサンゴや岩の形、その岩に付いた海藻などはきれいでしたが、魚の種類はあまり多くなかったですね。変わった物では太さ10cmぐらいのウツボぐらい。まぁ、2ダイブで結論を出すのは失礼ですから、これぐらいにして。
午後はまた例によって小僧を連れてスノーケリング。これがまた1時間以上。これを読んでいる人で、HIDEさんの正体を知っている人は「へ~、HIDEってのはそんなに海で遊ぶのが好きな男だったのかい?そうには見えなかったなぁ。」って感想をお持ちのことでしょう。私自身、そう思います。まぁ、初日の所よりちょっと変わった形や色の魚がいたからいいようなものの、さすがに疲れた。あと5分続けたら、左足がつったな。
ホテルに帰ったら翌朝の8時出発を確認し、昨夜から我慢していたビールを立て続けに5本飲み、夕食を取ったら、まだ貴重な電気がついている時間にもかかわらず、前後不覚。そのまま夢の世界へ・・・。相棒が小僧のお礼にテキーラ飲もうって言ってたなぁ・・・。
3日目:「HIDE、どこ?出発するよ!」って起こされるまで寝てしまいました。HIDEさんの正体を知っている人は「え~、あの朝に滅法強いHIDEが?」って思われるでしょう。私自身、そう思います。転がるように船に乗り、「蛇カヨ」を後にしました。
翌日:左の足首が痛い。ヘヘンのお陰で体中が痒い。
HIDE

| | Comentarios (0) | TrackBack (0)

« julio 2004 | Inicio | septiembre 2004 »